第1の曲がり角
第1の曲がり角は、精神病は悪魔の仕業と考えた中世の呪術から精神病学が医学として切り離したオランダの医師ヨハン・ワイヤー(1515-1588)です。ギリシア時代に現在の精神病観の礎がすでにみられ、ピポクラテスは精神病の症状を客観的に観察して記載し、精神作用の主作は脳にあることを主張しました。しかし、ローマ時代から中世にかけては、精神病は悪魔憑き、人狼憑きだとする考え方が一般に信じられるようになり、精神病者は宗教裁判にかけられたり、監禁されたりして虐待をうけました。中世の終わりごろから、精神病者の収容施設がつくられるようになりましたが、その内容は社会から隔離を目的とする牢獄に近いものでした。
第2の曲がり角
第2の曲がり角は、動物なみに扱われていた精神病者を鉄の鎖から解放したピネル(1745-1826)です。
1793年、ピネルはフランス革命の最中にパリのビセートル施設院の医長となり、患者を鎖による拘束から解放しました。これは精神障害者への処遇変化を象徴する歴史的事件として有名となっています。「鎖からの解放」です。しかし、最近の研究では精神病者を解放したのはピネルではなく、監視人ピュサンであうと言われるようになってきています。当時は精神病に有効な治療法はまだ現れていなかったが、精神病の患者も、他の身体病の患者と同様に「病める人」であって、医学の対象であるという考え方がめばえ、普及したことは重要で、19世紀後半になって、近代精神医学会が確立するための1つの素地がつくられたといえるのです。
第3の曲がり角
第3の曲がり角は、無意識というものを発見したフロイト(1856-1939)
著書としては『夢判断』(1900)、『精神分析入門』(1917)、『続精神分析入門』(1933)などが有名です。フロイトの主張した芸術論、宗教論、文化論は、いずれも臨床知見から得られた人間の深層心理に基づいており、今日でも高く評価されています。
フロイトの提唱した精神分析学では、人間の精神構造を意識・前意識・無意識という三つの層に分けて考えました。自らが意識できる事と意識できない事、思い出せる事と思い出せない事といった日常的に経験される事柄を軸に、様々な心理現象を決定論的に説明する為の理論モデルとしてフロイトにより提唱されたものです。フロイトは精神の構造に注目して提唱した無意識の三層構造モデルとは別に、臨床経験と精神分析学的思索を積み重ねる中でもう一つの精神に関する理論モデルに到達しました。
第4の曲がり角
第4の曲がり角は精神病を分類整理して科学的な精神医学を確立しようと努めたドイツの精神科医クレぺリン(1856-1926)です。クレぺリンは精神疾患においても、身体疾患と同様に、一定の原因 ・症状・経過・病理所見をもつ「疾患単位」が存在するにちがいないと考えて、精神症状を正確に記載し、症状と経過の特徴から精神疾患の分類を試みました。彼は当時、特に心因も身体因も不明な、いわゆる「内因性精神病」を、(1)思春期に発症して慢性を経過し、最後には痴呆(人格荒廃)にいたるものを早発性痴呆と(2)躁状態あるいはうつ状態が周期的、循環的あるいは単発的に起こるが、人格荒廃に至らない転帰を示す躁うつ病とに2大別した。このクレぺリンの考え方は、その後、現在に至るまで臨床精神医学体系の基礎になっているのです。
第5の曲がり角
第5の曲がり角は、マラリア療法、インスリン・ショック療法、ロボトミー手術、電気けいれん療法など身体的治療法の発見です。現代ではほとんど使われることがなくなったのはいうまでもありませんが、実際このような治療法が行われていたということは知っておいてもいいのではないかと思います。
第6の曲がり角
第6の曲がり角こそ向精神薬の登場であり、向精神薬の登場であり、精神医療に革命をもたらしたのです。1950年代からのクロルプロマジンに始まる精神科薬物療法の発達によって精神障害が薬物により治療でき、しかも服薬継続によって再発を防止できるようになったのです。即ち、入院を要する場合も、薬物療法により症状が比較的早期に消失し安定するので、早期に退院させ、社会復帰することが可能になったのです。
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